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ルイストン (アイダホ州) : ミニ英和和英辞書
ルイストン (アイダホ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ルイストン (アイダホ州) : ウィキペディア日本語版
ルイストン (アイダホ州)[す, しゅう]

ルイストン()は、アメリカ合衆国アイダホ州ネズパース郡の都市であり、同郡の郡庁所在地である。人口で見ると、アイダホ州の北部地域ではコー・ダリーン市に次いで第2位、州全体では第9位である。ネズパース郡とワシントン州アソティン郡に跨るルイストン都市圏の中では主要都市である。2010年国勢調査での人口は31,894人だった。
ルイストンはスネーク川とクリアウォーター川の合流点にあり、ローワーグラニット・ダムがは北西30マイル (48 km) の位置にある。スネーク川とコロンビア川にダムと閘門があるために、ルイストンには外洋船で来ることができる。ルイストン港はアイダホ州で唯一の海港であり、アメリカ西海岸では最も内陸かつ東にあるという特徴がある。空路ではルイストン・ネズパース郡空港を利用できる。
ルイストンの町は、その北東にあるピアースの近くで1860年に始まったゴールドラッシュの流れで、1861年に設立された。1863年には新設されたアイダホ準州の州都になった。しかしその地位は短命に終わり、1864年12月7日に州都をボイシに移す議案がアイダホ準州議会により可決された。
ルイストンの主要産業は農業、製紙、および木工製品であり、また軽工業もある。市内には公立の学部カレッジであるルイス・クラーク州立カレッジがある。文化活動としては、ドッグウッド祭、ホットオーガスト・ナイトおよびルイストン・ラウンダップがある。
== 歴史 ==
ルイストンを訪れた最初のヨーロッパ人は1803年デイビッド・トンプソン遠征隊のメンバーだった。トンプソンはイギリス領北アメリカ(現在のカナダ)のハドソン湾会社のために毛皮交易基地を設立できる場所を探しており、アイダホでは初の白人入植地となるマッケンジー・ポストを設立した。しかしこの地域にいたネズ・パースインディアンの男達はビーバーを罠で捕らえるのが女達の仕事と考え、部族全体が回遊性であり、女達は既に十分に捕らえたと考えたので、この基地は失敗することになった。1805年10月にはルイス・クラーク探検隊がこの地域を訪れた。後にルイストンの町となる場所にはネズ・パース族インディアンの集落があった。ルイスとクラークは1806年の太平洋からの帰り道でもこの地域を通過した。
ルイストンの町はメリウェザー・ルイスと、ビクター・トレビットの故郷であるメイン州ルイストンの両方に因んで名付けられたが、住民はトレビットがそのアイディアを提唱した理由を知らなかった。トレビットは単に「ルイス・クラーク探検隊の日誌」でこの町がある渓谷について述べていると語っただけだった。ルイストンの町は、その北東にあるピアースの近くで1860年に始まったゴールドラッシュの流れで、1861年に設立された。現在のアイダホ州では最初の新聞である「ザ・ルイストン・テラー」紙は1862年にワシントン準州に属していたルイストンの町で発行を始め、1892年9月には現在ある「ザ・ルイストン・モーニング・トリビューン」と合併した。1863年、ルイストンは新設されたアイダホ準州の州都になった。ルイストンの初期3人の白人入植者の一人であるトマス・J・ビールがルイストン・トリビューンの最初の記事の多くを執筆しており、89歳で無くなるまで執筆を続けた。
ルイストンの準州都としての位置付けは短命に終わった。アイダホ北部でのゴールドラッシュが鎮まり、南西部のアイダホシティを中心とする地域で新しい鉱山ブームが加熱し、アイダホシティは1860年代半ばに太平洋岸北西部で最大の人口を抱える都市となった。1864年12月7日に州都をボイシに移す議案がアイダホ準州議会により可決された。これは準州議会が合法で始まる6週間前のことであり、地理的境界に関する訴訟で、準州最高裁判所の判決が1票差で割れた後のことだった。ボイシは1866年に準州都となった。この変更はアイダホ北部では大変不人気であり、裁判所命令に違背するものだった。準州知事のケレイブ・ライアンと準州州務長官が密かに州章、文書および動産を持ち出し、当時の準州都ルイストンから逃亡した。ライアンは川を下ってオレゴン州ポートランドに行ったが、この旅の間に蒸気船の船室から動産を盗まれたとされている。準州州務長官は南のボイシに向けて出発し、きっと起こると見られていた大衆の暴動を避けた。アイダホ北部の人々は、1889年、ルイストンの北30マイル (48 km) のモスコーアイダホ大学ができることで幾らか宥められた。1893年には州立師範学校ルイストン校、現在のルイス・クラーク州立カレッジが設立された。また南部のツインフォールズには別の師範学校が設立されたが、現在はなくなっている。ルイストンでは1862年にアイダホ初の公立学校が開校された。それ以来、ルイストン独立教育学区はアイダホ州の第1教育学区となっている(ボイシでは1865年に学校が作られ、第2教育学区となっている)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイストン (アイダホ州)」の詳細全文を読む




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